糸選びから、はたの振り分け、
出荷までの全ての工程をこなす
 

 
 
製造部 部長
N.S
インタビュー時:入社40年

会社に入ったきっかけは?     
 
元々、農業の指導員の免許を持ってまして、
公務員として、採用待ちをしておりました。
その頃、実家にいたんですが、病の父への孝行で、
結婚を決めましてね、家族を持った以上、
欠員が出ない仕事を待つことはできない状況でしたので、
今の会社にお世話になることになったんです。
それから、40年です。
 
社名が変わることについての思いは?
 
正直なところ、衝撃でしたね。
私は、横田タオルに染まった人間ですから、
愛着ある名前がまさか変わるとは、思いもよらない事でした。
実はうちの会社は解雇者がいないんですよ。
40年振り返ると色々ありましたが、
社長が変わってからも、解雇なしですから。
従業員は皆救われましたね。
親会社のトップ産業さんの懐の深さと思ってます。
「みんなが良くなるように」という考えの元、
今は新しい気持ちで、働かせてもらってます。
 
 

 
 
入社から40年、振り返っていかがですか?
 
私、40歳の時にランニングを始めまして、
毎日10キロは走ってました。ストレス解消!ですかね。
何かあった時は、ペースをあげて走ることで、
頭が真っ白になって呼吸が苦しくなるまで自分を追い込むと、
スッキリして次の日を迎えるんです。
フルマラソンで大会にも出てましたし、
100キロマラソンもやりました。
仕事も振り返れば毎日がレースでしたね。
会社が良い時も悪い時も、一緒に走り続けてきましたよ。
おかげさまで、いろんな経験をさせてもらってます。
20年くらい前ですか。
仕事も面白いし、走るのも面白いし。
今思えば、私は色々ついてましたね。
丁度、会社の成長期に当たります。商品の作り方が変わってきたんです。
プリントを始めるようになって売り上げが上向きになってきたんです。
会社方針が、在庫を持たない方針でしたので、
できた商品は直ぐ売るという、
右から左へ、追われる感じで仕事をしてました。
それが逆にやらんといかんという、活力にもなってましたね。
当時はコンピューターがなかったので、
現場の責任者として全部頭で記憶してましたね。
今でいう 生産管理システムがアナログでしたので、私の頭が頼りで…。
そんな状況下で作っても作っても売れるわけですから、
それは面白いですよ。
 
その後、不況により大変な時期に直面されますが
どう乗り越えられたんですか?
 
苦しい時期、仲間と戦った時期もありますね。
お客様に頭下げに行ったり…。
その時、仕事の一つ一つの大切さ、
商品1個1個の大切さを機(はた)に教わりました。
タオル1枚、糸1本の大切さですよね。
今治にあるタオル会社は5割ぐらい潰れて、
いつ倒産するかわからなかったです。きつかったですね、正直。
色々あっても走る事だけは続けてきまして、
それで乗り切ってきたと言えますかねえ。
その後、「今治タオル」ブランドができて、逆に注文ラッシュで、
今治タオルとして、ブランドに救われました。
 
部長から会社の皆さんに仕事の楽しさを。
 
従業員みんなが良くなるように。という考えの元、
各セクションごとに、企画は自分の作った商品が売れて、
営業は売り上げ達成できて、製造は限られた納期管理できること。
それぞれのセクションの協力によって得られる達成感が
楽しさに結びつくと思ってます。
以前から比べると会社の雰囲気はどんどん良くなっている思います。
でも、まだまだ各職場の交流が足りないので、
もう少しそれぞれの現場の行き来ができるようになり、
お互いが助け合うようになると、
相乗効果でもっと素晴らしい会社になると思います。
私もですね、川島社長から、まだまだ笑顔がないですよ。
と言われながらやってますよ。
 
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気がつけば、会社と共に走り続けて40年。
気持ちは入社当時と変わらず、今も笑いながら段ボールを担ぎます。
時代の変化と共に、今あるべき仕事の形を悩みつつ、
彼の背中は、後輩へ無言のメッセージを送り続けます。
 
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